もも(30歳→34歳)の妊活日記

昔から生理不順。
20歳の時に3ヶ月生理がなくて、さすがに病院に行き、多嚢胞性卵巣症候群と診断。
婦人科に通いつつ28歳で結婚。
約1年自主的に頑張ったものの
…そもそも生理が来ない!限界だ!!

専門的な治療にかかりたい、とクリニックへ通い始めました。

【2人目不妊治療】 2人目が欲しいかも…

不妊治療でAIHで第一子を授かり、元気な女の子を産み、ワーママしつつ、子育てに追われる日々を過ごしました。


娘は本当に寝ない赤ちゃんでした(泣)

寝ない以外は育てやすい方の赤ちゃんでしたが。1.2時間起きに夜泣きをする日々。だんだんと母も慣れていき、出にくかったおっぱいが自らの負担軽減のために、完母へと成長し、添い乳に移行しました。

娘も自分の意思で動くようになってからは、寝てる母のおっぱいにかぶりついて、勝手に飲むみたいな感じでしたが。。

はじめて娘が、夜から朝までぶっ通しで寝てくれたのは、1歳4ヶ月の頃でした。


母ちゃんもうズタボロ。いくらホルモン出てるからって、あまりの睡眠不足と疲れから中耳炎になったり、夜泣きの回数は減っても、復職してからの最後4ヶ月は地獄でした。


そして初めてのワーママ。

とてつもないエネルギーが必要で、今はその忙しさが心地よいですが、よく仕事しながら母乳や離乳食あげてたと思う(笑)

さすがにこのままじゃマズイと、私もパパも転職。お互い年収も上がって、労働環境も良くなる素晴らしく幸運な引きでした。


そして娘が3歳になり、「(わたし)ちゃん、おねーちゃんだから」「赤ちゃんかわいーねー」と発言するようになりました。


気付けば不妊治療から随分と時間が経ち、子育ての苦労や日々の忙しさから、2人目が欲しい、と考えることも無く、本当に娘に言われて「ん…?2人目…?」みたいな感覚でした。


パパと緊急ミーティング。

第二子にありがちな、現実的な話し。


パパ「今できたら3歳差か、学費問題だね。そこは共働きで頑張ってクリアできるとしても、一刻も早く2人目欲しい!ってわけじゃないもんね。」

ママ「じゃあ4月ラインを超えて、安全な5月末予定日ぐらいから、子作り開始かな?」

パパ「うん、保育園預けるとなると、0歳枠だよね、やっぱ」

ママ「その方が枠は大きいね。うちのところはまだ4.5歳クラスがいないから競争率が低いと言っても、1歳枠は怖い。連携の小規模も出来たし、兄弟姉妹の加点もあるしね。」

パパ「じゃあ0歳枠狙える半年頑張って、ダメなら翌年持ち越しって感じで。まだ上の子の在籍加点がつくには、丸3年あるしね。」

ママ「それがいいね、狙ってこう」


という、第一子計画の時には考えられない、超現実的な話に。


パパ「今回も不妊治療する?」

ママ「!!」


そうだ!治療だー!!


働きながら、第一子を育てながら!?

てか不妊治療のクリニックに上の子連れていけなくない!?


色々と考えなければならない2人目不妊治療が始まりました。

まさかのログインID忘れて、すっかり放置しておりました。

かなり時間が経ちました。

ある日、あっ!とこのブログを思い出し、IDとパスに格闘する事数日。

ご報告、本当に遅くなりました。


無事に産まれました。

可愛い可愛い3500gの女の子です。

出産は丸二日かかり難産でしたが、産まれた瞬間辛かった事は全て忘れてしまいました。


あの日から1年半が経ち、娘は1歳半になりました。

あっという間でした。


なかなか母乳が出ず、苦労した事。

その後、母乳が軌道に乗った3ヶ月頃から娘はおっぱい星人となり、夜泣きが1歳3ヶ月まで続きずっと寝不足だった事。

パパは娘が1歳過ぎた頃に転職してくれましたが、それまでワンオペ育児だった事。

とても大変でした。


里帰りが上手く行かず実の両親と不仲になりましたが、いったん距離を置くとまた上手く付き合えるようになりました。


育児休暇を取っておりましたが、やはり私は働きたい、と思いました。

娘との日々は楽しくて仕方がありませんでしたが、家にいるのが嫌いで毎日お出かけしておりました。

でも娘に期待しすぎてしまう事が怖くて、そして何より私自身が働いて社会と繋がっていたい、そう強く思いました。


保育園の為に引越しをして、娘10ヶ月で無事に保育園に入れました。


働き始めて数ヶ月は悩むこともありましたが、どんな生き方を選んでもいいこと悪いことある、そう思い、今はワーママで良かったと思います。


現在、有給25日使っています。

1歳児はとにかく風邪を引きます。

本当に会社に迷惑かけながらも、理解して、そしてそれでも働いて欲しいと言ってくれる上司と仲間たち。

自分の置かれた環境が素晴らしいものだったと再認識しました。


そしてパパの転職が成功し、生き生きと働き

休日は家族三人で笑顔で過ごせる日々に、感謝しております。


いつかまた、この子に兄弟、姉妹をつくってあげたい。

その時はまた、妊活と言うスタートラインに立つと思います。

結果はどうあれ、チャレンジしていきたいと思います。

22週4日 元気いっぱい

地獄のつわり期間を終え、

安定期に安産祈願に行き、

無事に6ヶ月半ばを迎えました。


日々強くなる胎動に感動しながら

自分の身体の変化を楽しんでおります。


赤ちゃんは今500gほど。

現在の医学レベルでは切迫流竄→切迫早産とされる境界線をこえました。


○週の壁と言われる検診がある度に、毎回緊張しました。

無事に産まれるまでは気は抜けませんが、

段段とマタニティライフを楽しめる余裕も出できました。


性別はまだ分からず。

いつも横向いてたり足閉じてたり。

どっちでもいいですけどね、本当。


産まれたらまたご報告します。


この前確定申告の為に昨年度の医療費をまとめていたら、

不妊治療でトータル30万でした。

旦那の検査代も入っておりますが、

タイミング1回、

リセット1回、

AIH2回、

8週までの健診代が内訳です。

ご参考までに。


あ、あと悩みましたが

出生前診断は受けませんでした。

旦那と話し合って決めました。

当初は血栓マーカーだけ受けようと思ったのですが、

診察中に先生とも話し合ってやはり受けない事に。

これはホントに難しい判断でした。


それではまたの機会に。

では!